【21.09.01】ホテルマネジメント雑学ノート(Vol.102)「ホテルの意義を再定義する」Part2

ホテルパーソンという素敵な人種



前述した通り、私の本業は宿屋大学という「宿泊業に特化したビジネススクール」の経営・運営である。二〇一〇年四月、前職の出版社で行なっていたセミナー事業を持ち出す形で独立した。なぜこの事業を始めようと考えたのか。少し説明したい。

私のキャリアは、『ホテル業界就職ガイド』という一冊の書籍を企画・編集・出版したところから始まっていると考えている。一九九六年のことだったと思う。当時、石ノ森章太郎の漫画が原作となったドラマ「HOTEL」がヒットしていた。主人公のベルボーイ・赤川一平や同僚のホテルパーソンたちの働き方や職場のかっこよさに憧れて、多くの若者が「ホテルマンになりたい」と志望した。ホテル業界が人気職業になったのだ。しかし、インターネットのない時代、ホテルの仕事の実態や、就職情報は一部の書籍を除いては見つけることができなかった。書店に行っても、「マスコミ業界に就職する本」や、「スチュワーデスになる本」はあっても、ホテルマンになる本は存在しなかった。

そんなとき、あるホテル専門学校のホテル学科長に呼ばれて、こう言われた。

「おたくで、ホテルに入るための就職ガイドを作ってくれないかなあ」と。

当時の私が就職活動を終えたばかりということもあったと思う。就活生が何に困るのか、どんな情報を欲しているのかなどに、ある程度明るかったため、すぐにコンテンツを考えて企画書を作った。社内で前例がなかったためか、「学生向けのビジネスが儲かるとは思えない」という理由で企画はなかなか通らなかった。しかし、全国の専門学校のなかに、雨後の筍のように生まれ始めた「ホテル学科」の先生を訪問し、「今度、こういう就職ガイドを創るので教科書採用していただけないでしょうか」と頭を下げると、あろうことか、まだ存在していない書籍にもかかわらず、多くの先生が注文してくれた。
そうした注文数が千部を超えたとき、企画は通った。その後、三日三晩寝ないで編集・校正作業をするなどの生みの苦しみを味わいつつも、晴れて『ホテル業界就職ガイド1997』は誕生した。

同ガイドは、出版されると驚くほど注文が入った。販売部の電話は、全国の書店からの注文で、ひっきりなしに鳴り続けた。専門書としては異例だと思うが、一万部を超えた。
 その後、私はホテル業界への就職支援ビジネスをいくつも企画・運営したが、何をやってもヒットした。「ホテル業界合同企業説明会」というジョブフェアや、第四章に登場する濱田佳菜も参加した「大学生のためのホテル業界就職講座」という合宿研修など、毎年定例で開催する就職イベントなどの新卒者就活支援ビジネスはオータパブリケイションズの柱の一つになっていった。

入社してから数年で、細くとも会社の事業の柱を創れたということは、私の大きな喜びであり、ビジネスの面白さを知り得た経験となった。それだけではない。私は私の人生を豊かにしてくれる宝物を得たのだ。ホテル業界を目指す若者たちとの交流である。彼らは、一様に明るく、人に喜んでもらうことを自分の喜びと感じる、心根の優しい若者ばかりだった。「ホテルマンになりたい!」と瞳を輝かせながらオータパブリケイションズのオフィスに来ては、履歴書や自己PRの添削を私やほかのスタッフに乞い、面接のトレーニング相手となることを求めてきた。一緒にホテルを目指す学生を、ライバルではなく仲間と見なし、誰かが内定を獲ればみんなで喜び、誰かが第一志望のホテルから落とされたら、みんなで悲しむ。そうやって就活の泣き笑いを共にした。私はそんな若者たちに向かってエールを送り、「一緒にこの業界を盛り上げよう!」と背中を押した。そんな交流が一〇年以上続き、毎年数十人、数百人という若者がホテル業界に就職した。相手を思い遣ることが自然にでき、一緒にいて楽しい若者たちとの公私を超えた交流を私は心から楽しんだ。

私が三〇歳を過ぎるころ、自分の天職をこう決めた。

「ホテル業界人の人生の応援団を担おう」

私が背中を押してホテル業界人になった若者たちの人生を応援する仕事を一生の仕事にしようと決めた。そして、新卒者向けの就職支援ビジネスは部下に任せ、私は現役ホテル業界人の支援事業を始めた。インターネットを使った求人サービスや人材紹介業、業界人のためのキャリアアップガイド、ホテル業界人専門のSNSなどの事業を興していった。
 私の仕事は人を幸せにしているし、自分も楽しい。その上でビジネスも好調で会社に利益をもたらしている。人生最高、そんな思いでいた。

ところが、そんな良いことばかりは続かなかった。こんなことが続いたのである。

目をキラキラさせながら就職活動をし、希望のホテルに就職したホテルパーソンが、数年経って再度オータパブリケイションズにやってくる。そして、こう告げるのだった。
「ホテルの仕事、疲れました。ほかの業界に転職することにしました」と。そう言って、携帯電話の販売会社や生命保険会社の営業職などに転職していった。また、三〇歳前後の男性ホテルマンも多く来るようになり、彼らはみな同じセリフを言った。「ホテルの仕事は好きなのですが、給料が安くて結婚できないので、給料のもっと良い会社に転職します」、もしくは「子供ができて、奥さんが仕事を辞めたため、自分ひとりの給与で家族を養わなければならないのですが、ホテルの給料じゃ足りないので辞めます」といったセリフである。
 自分が就職の支援をした若者が、あまり幸せになっていない……、そんな現実を目の当たりにしたのだった。



古き良き時代の終焉



一方で、ホテル企業のビジネスの在り方に対して、違和感を覚えることも多々あった。
 例えば、某電鉄系ホテルの総支配人をインタビューしたときのことである。その総支配人は自分の仕事のミッションについてこう語ってくれた。

「私の仕事は、ホテルで儲けることではないんです。電鉄会社である親会社からは、『赤字では困るけれど、利益を出すことはホテルビジネスの目的ではない。沿線住民のためのフラッグシップホテルになり、グループ全体のブランドイメージを上げることがあなたの役割です』と言われています」

今となってみればこのロジックはよく理解できるが、当時は、「利益を出さなくてもよいビジネスが存在するのか?」とびっくりしたことを憶えている。

また、あるシティホテルではこんなエピソードを聞いた。
あるとき、一〇〇〇万円の宴席を受注した。この大きな売上額を前にホテル中で喜んだ。そして、調理部は最高の食材を使って極上の料理を作り、高級ワインを何十本も空け、大勢のスタッフが給仕にあたり、精いっぱいの宴席を提供した。宴席が終わり、原価や経費を計算すると、なんと総計一一〇〇万円かかってしまっていたという。つまり、一〇〇万円の赤字だ。赤字を出しているのにみんなで喜んだというオチである。

事程左様に、かつてのホテルは損得勘定に無関心であった。親会社のお飾り的な役割を担っていたし、ホテルの存在意義が事業性よりも社会性にあったことを考えると納得する。特段軽蔑に値する考え方ではない。
 
事業・ビジネスには「ロマンとソロバン」の両方が必要だ。その仕事を通して成し遂げたいこと(=ロマン)と、その仕事によってどう収益を上げるかを考えること(=ソロバン)の二つである。当時のホテルは、少し大げさに表現すれば、「ロマンだけを追いかけていればよかった」のである。ホテルにとって、そしてホテルパーソンたちにとって「古き良き時代」だったのだ。

ところが、バブル経済が崩壊し、日本経済が失速すると、徐々にホテル子会社を所有する親会社もスタンスを変えていった。ホテル子会社に冷たくなっていった。「ホテルもビジネスです。しっかり稼いでください」という姿勢になったり、本業回帰という流れに乗ってホテル資産を売却するところも出てきた。売却される先が不動産投資ファンドというケースが増え、ますます「利益重視」が加速した。

これまで、「ホテルのみなさんは、利益のことは考えなくてよいです。目の前のお客さまを喜ばせることだけを考えてください」と指示を受け、おもてなしのスキルを磨いてきたホテルパーソンたちは、大いに戸惑った。サービス職人、ホテルサービスマンとしての自分を向上させてきたのに、ある日突然「ホテルビジネスマンを目指してください」と言われるようになったからだ。つまり、「ロマンだけではなく、これからはソロバンも弾いてください」と言われるようになったのだった。

そして、ビジネスという名のソロバンを勉強したホテルパーソンと、ビジネスや数字に苦手意識をもって学ぼうとしなかったホテルパーソンに分かれた。後者のホテルパーソンは、現在ではこの業界から姿を消してしまったように思う。


一流のホテルサービスパーソンになっても……



「ホテルで使うソロバンの弾き方をみんなで勉強しよう」

宿屋大学というビジネススクールを始めた目的はこれである。ソロバンだけではなく、顧客満足を提供しつつ、社員も幸せになれるホテルビジネスを遂行できるプロフェッショナルホテルマネジャーを、日本中に増やしたいと思って創ったのである。宿屋大学は、創業当初は不慣れなスクール運営であったが、徐々にビジネススクールの体を成すようになり、いまでは、受講者の成長を愚直に伴走する体勢がとれている。結果、多くの卒業生が優れたホテル総支配人になって全国で活躍している。

ビジネススクールの経営・運営という本業の一方で、私は大学の観光学部やホテル専門学校で講師をしいている。初回講義では必ず次のことを伝えている。

「一流のホテルサービスパーソンになっても、食っていけない」

上場しているような老舗高級ホテルのサービス職人、マスコミで取り上げられるようなソムリエやコンシェルジュといったスター級の職人ならともかく、並のサービス職人レベルでは給与がなかなか上がらず、生活に困るということを、事例をもとに伝えている。こんな感じである。

「これは、都内にある某高級外資系ホテルのレストランで働くホテルマン三人の話です。三人とも三〇歳の男性で勤続年数も一緒。Aさんはマネジャー、Bさんはアシスタントマネジャー、そしてCさんはチームリーダーです。月給(額面)はいくらか。Aさんは三七万円、Bさんは二八万円、そしてCさんは二二万円です。つまり、マネジメント職になればある一定以上の額をもらえますが、接客だけやっている人の給与はほとんど上がらないのです。その差なんと一五万円です。三〇歳というのは多くの男性が結婚して所帯を持つ年齢ですが、奥さんと子供を養うのに必要な月の生活費は平均で二八万円です。要するに、接客だけやっていては食っていけないんです。だから、みんなには三〇歳までになんとかアシスタントマネジャー以上を目指してほしい。そのためには接客スキルだけではなく、マネジメントやビジネスを勉強する必要があるのです」

私は、講師業を始めて一二年になるが、一二年間これを言い続けている。この想いに変わりはない。ましてやテクノロジーが発達し、接客の仕事がロボットや機械にとって代わっている時代である。接客だけをやっているサービスマンの仕事は少なくなり、結果給料も減っていくだろう。だから、マネジメント職になって接客する人を使う立場に就かないと、この業界では生きてはいけない。こんなメッセージを何度となく発している。
ところがこのメッセージ、実は残酷な意味を含んでいる。なぜなら、ホテル志望の学生のほとんどは、接客がやりたくてホテル業界を志望しているからだ。ビジネスや金勘定にはあまり興味がなく、人から「ありがとう」と言ってもらうことに生きがいを感じる人たちである。私が一二年間言い続けているメッセージは、「三〇歳前後で給料面に課題を抱えて泣く泣く業界を去って行くホテルパーソンを無くしたい」という思いで、敢えて、その人たちの気持ち、接客を極めたいという意思を無視したメッセージを伝えているのだ。
本来ならば、「ホテル業界人の人生の応援団」というスタンスで活動している私の立場ならば、「おもてなし、接客をやりつつ、世間並かそれ以上の給与を得られる業界になるにはどうしたらよいのだろうか」という問題解決に取り組むべきなのだ。薄給という問題を当事者だけに押し付けず、業界全体で考え、構造改革をしていく必要がある。ホテルというサービス業においてゲストに直接価値を届けるサービスパーソンは不可欠であり重要な存在だ。第三章で登場する吉成太一に言われて私自身もハッとさせられたのだが、我々はこれまで、彼らの薄給問題を「この業界、そんなもんだから」と諦め、思考を停止し続けてきてしまったのではないだろうか。そんな自責の念を感じずにはいられないのだ。


ホテルの未来に向けて



新型コロナウイルス感染拡大によって、世の中の常識が変わった。ホテルの在り様も多種・多彩になった。いや、むしろ「一つひとつのホテルが個性をもって多種・多彩になっていかないと生き残れない時代になっていく」といった方が正しいだろう。

ホテルで働くホテルパーソンたちの働き方やキャリアデザインも、もっと多様になっていいはずだ。おもてなしをし続けたい人はおもてなしを存分にすることができ、マネジメントを担いたい人はマネジメントに集中でき、ホテルを創る仕事がしたいという人は開発の仕事に携わることができる。そんな時代。また、なにもフルタイムワークにこだわる必要もないだろう。元・旅館の仲居だった主婦が、接客のプロとして時々呼ばれてVIPの接遇にあたるということや、SNSに強いホテルパーソンが、サイドビジネスとしてホテルや旅館のインスタグラム公式ページの運営を受託するといったことも自由にできる時代になるだろう。

この後、第二章からは、魅力に溢れたホテリエたちが登場する。彼ら彼女らの人生の軌跡や考え方、ホテル経営哲学を綴ったノンフィクションドキュメンタリーであるが、実に価値があると自負している。「ホテルは空間に価値を加えて時間貸ししているオペレーショナル・アセットである」と私は分かったようなことを語っているが、この五人のニュータイプホテリエは、端からそう捉えている。「ホテルは寝る場所」とは、誰一人捉えていない。例えば、第二章の主人公である龍崎翔子は、「ホテルは空間に時間軸を合わせた四次元のメディア」と捉えてさまざまな価値創造を続けているし、第三章の吉成太一は「ホテルは新しい文化が生まれる場所」と定義している。第四章と五章で登場する三人のホテリエは、「訪れた人が自分の居場所と感じられるサードプレイス」というキーワードを発している。

では、これからお付き合い願いたい。トップバッターは「ホテルはライフスタイルの試着室」と語る龍崎翔子、この業界に現れた気鋭のアントレプレナーの人生からスタートする。

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ぜひ、続きを、本書にてお読みください。
「ホテルを再定義」して生み出された価値やホテルの新しい形の具体例が満載です。


●新刊『惚れるホテルを創る 愛されるホテリエたち』のマクアケプロジェクト

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