【14.10.20】第10回 ひとりのソムリエが東南アジアで  統括CEOになるまで(後編)




 サンマルク 東南アジア統括CEO三宅隆文氏のインタビューの後編。神戸のフレンチレストランのソムリエからスタートし、ホテルマンを経て、成長著しい東南アジアで経営者になるまでのストーリー。

----- 投資会社にいらっしゃるときにサブプライムローンが起きた。その後どうされたんですか。

 不動産ビジネスのすべてがストップしました。それから、日本のホテルに誘われたり、ロスのホテルに行こうとしたり、いろいろ考えましたが、人間関係のこともあり、行く場所が無くなってしまって。それで逃げるようにニュージーランドの大学に行ったんです。


----- なぜニュージーランドだったんですか?

 どこでもよかったんです。もちろんアメリカ、ヨーロッパの大学も考えましたが、ホテル業界にいたので、各校のレベルや卒業生の評判が耳に入っていました。あとお金が無くて。妻から「あなた、無職で勉強するなんて、何を考えているの?」とあきられました。もっともですよね、子供もいたし(笑)……。それで僕はホスピタリティマネジメントが勉強できればどこでもよかったので、費用の安いニュージーランドを選んだんです。

----- でも、その時点でホテルも金融も経験されていましたから、留学する必要はなかったんじゃないですか?

 いえ、すべてOJTで体得してきたことなので、体系立てて勉強したかったんです。英語力 も低く、海外と仕事するときに苦労していたし。でも、今までの経験のおかげで授業はみんな分かりました。ですので、これまでやってきてよかったと思いましたよ。失うものは何もなかったので、本当に勉強に集中できたんです。
 卒業後、家族のいるシンガポールに来ました。当時妻は、バリバリ働いていて、会社からコンドミニアムも支給されていました。エレベーターのドアが開いたらリビングみたいなと部屋だったので、「すごい!シンガポールはいいところだ!」と思って(笑)半年間専業主夫していました。ところがリーマンショックが起きて、奥さんの会社が倒産しちゃったんです。家も3日で出てと言われて。無職の両親と子供2人で、小さいボロアパートに引っ越しました。きつかったです。毎日けんかしてましたね。
 それから私は、縁あってポッカフード(現:サッポロライオンシンガポール)に入社します。最初は「君、すごい経歴だね」って言われましたけど、半年無職だったし、ちょっとしたエリート意識はもう消えうせていて、「なんでもやります!」という気持ちでした。すでにポッカはシンガポールで飲食店を多店舗展開していて、そのノウハウを伝授してもらいながら、シンガポール人とどう働くかを学びました。その後、ポッカを離れて、イタリアンレストランをGMとして開業させ、2年で5店舗オープンさせました。その後いいタイミングでサンマルクと出会ったのです。


「経営者になるということ」


サンマルクに入社して初めて、「自分がやってきたことは、経営ごっこだったんだな」って思いました。

---- ここまでやってきてですか?もうなんでもできそうですが。

 僕もそう思ってました(笑)。ところがサンマルクの経営者に出会って、自分が何にも知らなかったことに気づいたんです。サンマルクの創業者は、当時の僕より若い31歳で創業して、37歳で上場しました。当時、最年少、創業から最短で上場した人です。そこでアントレプレナーシップも彼らから学びました。当時僕は、「もう誰かのためには働かない。自分と家族のためにしか働かない」という考え方をしていました。
 ところが、彼らはそんなトゲトゲしかった僕を理解してくれて、なぜかゆっくりほぐしてくれました。人間的に。
 岡山にある本社に行ったとき、「すごいところに来てしまった」と思ったんです。僕は高校時代バスケをやっていて、体育館に入った瞬間に負けるか勝つか分かるんですが、そのオフィスに入った瞬間、「あ、ここには勝てないと」直感しました(笑)。一言で言うと、「勝つべくして勝ってきている常勝軍団」です。ラッキーによる勝ちはゼロ。そんな凛とした空気が漂っていました。
 サンマルクホールディングスの事業会社のトップになるには、社長直轄の経営塾を卒業しないといけないんです。その経営塾がこれまでの苦労の数段上をいく大きさでした。スカイプで参加できると思っていたら、「なめるな!」と怒られて。シンガポールから岡山まで毎週飛行機で通っていました。最初8人だった塾生が、終いには2人しか残りませんでした。大企業の元支社長やMBAホルダーを含め、6人はファイア(クビ)です。自分でも本当によくやったと思います。自分を追い込んだ半年でした。


----- すごい…そこではどんなことを学ぶのですか。

 マーケティング、経営戦略、財務を徹底的に鍛えられました。うちはCFOを置かず、経営はすべて社長が判断しますので、そういう訓練もします。経済指標の読み方、日経新聞の読み方からやりました。アメリカの雇用指標は何曜日の何時に発表されるのか、アメリカの穀物市況は東京マーケットのどこに反映されるのか。何に影響を与えるのか。有効求人倍率が1パーセント超えたらどういう施策を打つのか、細かくスタンダード化されています。
 サンマルクホールディングスは事業会社の半分が単独で上場案件を満たし、グループで売上500億、経常利益71億を超えます。上場している飲食企業の中で経常利益率はトップクラスです。社長の片山はメディアには出ない方針ですが、ビジネススクールの題材として取り上げられているくらいです。

----- 財務に関してはどんな考え方をしているのですか。

 まず売上は「人気のバロメーター」と捉えます。だから売り上げに関しては、店舗にその最大化を依頼します。ただ、利益は売上とは違って、「知恵のバロメーター」です。利益は現場に要求するものではなく、経営陣の知恵で叩き出す物です。利益を従員の努力によってなんとかしようとするのは、すなわち、経営者に知恵が無いということです。社長がやらないといけないことから目をそらさない。それを従業員の努力に頼るから、ブラック企業になるんです。多分、世の中、このことの意味を理解している経営者が少ないんだと思います。とにかく財務が分からないのは、無免許運転です。タイホです。


----- マーケティングは?

 マーケティングとは、「だまっていても売れる仕組み」と定義しています。飲食店は特に大事です。営業部隊がいないので。チョコクロだって、オレンジ色のスリーブに入っていなかったら、売れてないです。マーケティングによって徹底的に差別化された業態確立は我が社の強みでもあります。

---- 戦略とは?

 アクションで会社はつぶれません。経営判断ミスによってつぶれます。優秀なスタッフを持っていても、戦略一つで会社は傾きます。その逆もしかりで窮地に陥った会社を救うのも戦略一つです。経営戦略の基本姿勢は差別化です。よって弊社では戦略立案は、社長の専権事項です。

----- 「お客さま」に対しては、どんな考えをお持ちですか。

 従業員満足は顧客満足度に勝ると考える経営者もいますが、僕はそうは思いません。お客さんがいなければやはりビジネスは成り立ちません。CSを目指していたら、それに付随してESも上がります。そういう仕組みを持った組織でないと成り立たない世界です。ESを最大化させるのは複雑なことではありません。お客さんの笑顔が見たい、そういう人を集めればいいだけです。そんな人材がいるのに、彼らの満足度が低いのは、経営者が悪いと言わざるをえない。


----- そういう人材、シンガポールで集まりますか。

 この国の環境や歴史を鑑みるに、サービスが苦手なのは仕方ないです。フィリピンでは月300ドルで笑顔溢れるスタッフが集まりますが、シンガポールでは10倍の給与ですが、やりがいも楽しさも感じることは難しいようです。そんななかでも、情熱を持った人を諦めずに探して教育し、「あなたは尊い仕事をしてるんだよ」と伝え続けています。

インターナショナルのフォーマットにのせる


----- 日本のサービス業が海外進出して、成功するためのポイントはどこにあるのでしょうか。

 まず言葉です。語学以外のなにものでもないです。日本語から英語に直訳できない言葉は多いですよね。「あうんの呼吸」も「察して動く」も通じない。文化が違うので当然です。そこで感性の擦り合わせが必要です。そこを曖昧にしたまま、インターナショナルのフォーマットにのるわけがないんです。グローバルマーケットに出ていくには本当に覚悟が必要です。






夢から志へ


----- もし20歳の自分が目の前に現れたら、36歳の今の三宅さんを見て、何と言うと思いますか。

「あなたみたいになりたい」と言うでしょうね(笑)。最初は、かっこよくなりたい、金持ちになりたい、という夢や憧れからスタートしました。しかしサンマルクに出会って、「世の多くの人、従業員を幸せにしたい」そんな経営者としてのマインドが作られました。夢から志へ、自己変革していったのです。今は「お客さまに最高のひとときを創造する」という会社の理念が自分の理念です。そして、経営者として孤独な戦いとともに、自己意識の改革は、今も続いています。

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