【11.09.11】ホテルマネジメント雑学ノート(Vol.19)

大和魂が込められたホテル


 9月10日(土)は、マイクさんの命日でした。彼が逝って8年目を迎えるこの日、私たちは「第六回 近藤マイク誠賞」の授賞式を執り行いました。

          http://www.hotel-ya.com/mmk/prize6th.html

 受賞したのは、ウェスティンホテル東京のサービスエキスプレス シニアアテンダントの左居稚子氏(27歳)でした。一回目の森覚氏以降、連続でずっと女性ホテリエが受賞し続けています。左居氏は、来年1月から半年間、オーストラリアでのホテルマネジメント留学とインターンシップに旅立ちます。

第六回受賞者の左居稚子さんとマイクさんの御両親


 近藤マイク誠氏とは、どういう人だったのか。
 ご存知の方も多いと思いますが、ここで改めて紹介したいと思います。


 近藤マイク誠のホテルマン人生は、ニューヨークのホテルで無給の皿洗いから始まった。無給なのでモデルの仕事を掛け持ちしながら食いつないだ。貧乏だったので具のないパスタを3週間も食べ続けたこともあった。
 しばらくするとアルバイトに昇格した。ベル、ドア、フロントなど他部門の仕事もやらせてもらえるようになり、それらを夢中でこなした。現場のサービスという、ホテルマンとしてのベースをきちんと積んだ後、サンフランシスコの名門「パレスホテル」に入社した。水を得た魚のごとく、マイクはここでがむしゃらに働いた。
 そうしているうちに、「めちゃくちゃ働きまくる日本人がいる」と米国ホテル業界じゅうにマイクの噂が広まるようになった。その噂を聞きつけてハワイの「シェラトン・モアナ・サーフライダー」のGMは、彼をフロントのアシスタントマネジャーに引っ張った。

       デビュー作「トロッコ」で映画監督として花開いた川口浩史氏とは、
       無二の友人だった


 ハワイに渡ってからもマイクの快進撃は続く。彼特有の観察眼、既成概念にとらわれない発想力で「シームレス・チェックイン」(空港でも客室でも、どこでもチェックインできるシステム)を編み出した。ゲストが選ぶ「ゲストサービス・アワード」を4カ月連続で受賞した。28歳の若さでセールス&マーケティング次長に就任した。こうしてマイクは米国のホテル業界で、スピード出世を繰り返していった。
 マイクは、自分の体、才覚一つで世界を渡り歩き、自分で自分の人生を切り開いていったのだ。

 29歳のとき、スターウッドホテル&リゾートワールドワイドの日本支社グローバルセールス次長として凱旋帰国した。そして、なんと若干30歳にしてスターウッドという巨大ホテル企業の部長に就任するのである。
 日本に帰ってきて半年が過ぎるころ、スターウッドは宮崎で破綻したシーガイアの運営を任された。マイクは世界が注目するこの非常に難しいリゾートの営業本部長、つまりセールスのトップという大役に就いた。「だれがやってもシーガイア再生は不可能」と、業界内で言われ続けるなか、マイクは大きなコンベンションやドラマの撮影、プロ野球のキャンプなどを次々と決め、業績をみるみる上げていった。
 それだけではない。シーガイアのスタッフをことごとく魅了した。すべてにおいて後ろ向きだった彼らをみるみるマイクのとりこにし、引き込んで、自分の温度と同じ熱さに高めていった。


 現場からのし上がった男の強みである。
 サービスの現場にいるときは常にサービスマンであった。汚れた灰皿があると自ら換えて回る。子供がいるとしゃがんで子供の目線になって話しかける。サービスマンとしての血が体に染みついている。それがベースになっている。親会社から来て命令だけする上司とは違い、自ら体を動かし、だれよりもハードに働くマイクにスタッフはシーガイア再生の可能性を見いだし、彼を中心に熱い「シーガイア再生チーム」が自然発生していった。これまで言われたことをこなすことしかしてこなかったスタッフが仕事に没頭し、3倍働くようになった。しかもだれもが楽しそうに・・・。シーガイアはもう少しで黒字転換するまでになった。シーガイアにおいて近藤マイク誠は、まさに救世主だったのだ。

        第18回宿屋塾では、300人以上のオーディエンスを集めた


 しかし、その代償はあまりにも大きいものとなってしまった。03年8月31日、東京に出張中、滞在先のウェスティンホテル東京で突如倒れ、意識不明となった。マイクはそのまま10日間眠り続け、生死の境をさまよった後、9月10日還らぬ人となった。
 享年32歳、病院が発表した死因は急性心筋梗塞による心不全。ホテリエの頂点を目指して全速力で突っ走ってきた男のあまりにも早い死であった。
 感性とロジカルな思考能力の双方に長けたホテリエだった。サービスをしても、マネジャーをしても、セールスをしても、マーケティングをしても、彼はすべてにおいて完璧だった。いや、完璧に見えた。サイボーグのように完璧に見える彼がときおり見せる、ちょっとした人間臭さが、たまらなく魅力的だった。
 大和魂が込められたホテル。西洋のモノマネじゃない日本人の心が込められたホテルをつくる。それも自身がプロデュースしたブランドのホテルを……。
 これがマイクの夢だった。
 既成概念にとらわれない新しい感性で、日本文化を尊重した、まったく新しいタイプのホテル。日本人のライフスタイルをより豊かにさせ、対外国には、日本人の優秀さを証明できるようなホテルをつくる。
ホテルは人間生活のすべてが凝縮されている、あらゆることを表現することができるステージ。ライフスタイルをトータルで提案できるビジネスなのだ。天才でありカリスマであり、真のリーダーであった男が、人生をかけ、生命をかけて夢中になった素晴らしいビジネスなのである。
 マイクが残してくれたパッションの炎を絶やさないで、21世紀のホテルビジネスを盛り上げたい。




  最後にマイクが私に語った、最も印象的な言葉をお伝えします。


    「ホテルの仕事は普通の仕事よりも5倍も大変だけど、10倍楽しい。
     ホテルの中には、人生があるんだ」

                        By  Michael Makoto Kondo


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