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【11.03.14】ホテルマネジメント雑学ノート(Vol.6)
「ホテルは公器」。大先輩の伝説的な偉業とは
フェイスブックに寄せられた台湾の友人からの動画メッセージ
皆さま、ご無事でしょうか。
金曜日の午後3時前。私は講師を勤める東京YMCA国際ホテル専門学校の、いつも宿屋大学の講座を行なっている古い校舎の一階の教室で今回の地震に遭遇しました。ホテル専門学校の講師会の最中で、30人ほどの先生が集まっていました。第一波が来てから第二波が来るまで時間があったので「震源地は遠いな。それほどの規模ではないだろう」と考えていました。しばらく教室で先生方と顔を見合わせて、揺れが過ぎるのを待っていました。ところが、1分たっても2分たっても揺れは止みません。向かいの木造二階屋が今にも瓦解しそうなくらいたわんでいます。
数分たったころ、校長先生が「いったん外に出ましょう」という指示を出し、全員校舎の外へ。われわれは銀杏の大木の下に寄り添いました。季節外れの銀杏の実がぼとぼと落ちてきます。近くのビルの清掃ゴンドラが激しく揺れ、目の前のワゴン車が、どんぶらこどんぶらこしています。YMCAの保育園の園児を数名の先生が抱き抱え、地下のプールでスイミングをしていた裸の小学生が体を寄せ合って震えていました。
東京の地震は、5分ほどでおさまりました。
そのあとは、ツイッターとフェイスブック、そしてテレビが次々と東北の惨状を伝え、東京も交通が麻痺しました。帰宅したと思った先生たちが、行き場を失って次々と学校に戻ってきます。その状況を見て、私はその日にあった二つのアポに向かうのを早々に諦め、その晩は、学校の教室に泊まりました。
翌土曜日には、午後から半日間の宿屋大学の講座がありましたが、早朝の報道を見て、急きょ延期を決定、関係者や受講者に連絡をしました。14時まで学校に待機し、受講生が誤って来ないことを確認してから帰宅しました。
家の中は書籍や食器が散乱していたようですが、家族は全員無事でした。ただ、友人の一人が九段会館の天井崩落の下敷きになりました。携帯のフラッシュで自分の場所を伝えて難を逃れたようです。また、別の友人の義理の両親が石巻で津波に遭い、36時間消息不明でしたが、先ほど連絡がついたようです。宿屋大学の講座は取り急ぎ、今週末までの3講座を延期しています。
実は、私は一昨日まで被災地に行こうと考えていました。仙台のホテルがどういう状態になっているのかを取材し、またホテルマンの応援に行こうと考えていたのです。ところが、知り合いである神戸のホテルの社長さんから「一般車両で行くのは、緊急車両の通行妨害になって迷惑だからやめときなさい」言われ、また無知な人間が行くことによって、かえって迷惑になると判断し、いったん様子を見ることにしました。
今回、痛感したことは「普段、空気のように感じているインフラ(電気、水道、列車、ガソリン)のありがたさ」、そして「イレギュラーな時こそ、冷静な判断力と人間力が問われる」ということです。私自身、大きなトラブルが発生したときにパニックに陥らず、冷静に判断できるようなのですが、中長期的な推移を予測してそれにどう対応するかの能力が足りないと分かりました。4月一杯まで計画停電が続き列車が動かなかったらどうするか、いまだに予測がつきません。
もうひとつ、ここ数日間でPCの画面を見つめながら何度も目頭が熱くなりました。普段喧嘩ばかりしている与野党が一致団結し、険悪なムードであった中国や米国、韓国がいち早く支援を表明し、民間からは「日本応援メッセージ」が届いているのです。
下記のサイトを見てなにも感じない日本人はいないはずです。「日本は、そして世界は捨てたもんじゃない」と思うはずです。http://prayforjapan.jp/tweet.html
ホテルのみなさん、いま、本当に大変な時かと思います。建物が崩壊し、キャンセルが続き、避難者をケアする・・・。不景気で営業成績が上がらないときに、さらなる試練です。まさに、正念場でしょう。ただ、今こそ「ホテルは公器」を認識し、社会の役割をまっとうし、世の人に感じてもらいたいです。「ホテルって、やっぱり凄い」と。
かつて、「HOTERES」誌は阪神大震災のあと、わずか二週間で震災の特集(1995年2月3日号)を組みました。その時の巻頭言を紹介します。われわれの大先輩の伝説的な偉業を見習いたいと思います。http://yadoyadaigaku.com/img/001.pdf