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【11.01.03】ホテルマネジメント雑学ノート(Vol.1)
(写真)昨年末、誘われるままに訪れた烏来(ウーライ、台湾)という温泉街のホテル
シンクロニシティ(Synchronicity)
去年の後半、私は「偶然にしてはでき過ぎている出会いや繋がり」をたくさん体験した。
例えば、長年会っていなかったが、必要があって連絡を取ろうと思っていた相手から連絡が来たり、初めてお会いした方と私の間に二人も親しい人がいたり(ホテル業界内ではよくある話だが、このケースはそうではなかった)、会えないと諦めていた人のスケジュールが急に変更になって海外でばったり出会ったり・・・。
そうした偶然の出会いをご縁だと思って大切にしていると、必ず自分の未来を左右する出来事にぶつかった。この「でき過ぎた偶然」というのはなにもここ数カ月に限ったことではなくて、40数年の人生の中でもいくつかあって、運営を左右する人物とは数年後にまた偶然の出会いをするし、そして未来を左右する出来事が起こる。
実に不思議である。
こうした、「偶然に見えて、実はとても重要な意味が隠されている必然」を、「シンクロニシティ」というそうだ。
ここまで奇遇なことが起きると、すべての行動、すべての出会い、すべての出来事、すべての結果に対して、「これは、どんな意味があるのだろうか」と考えるようになってしまった。そして、流れに抗わずに身を任せ、来るものすべてをありがたく受け止めて精一杯打ち返すようになった。
2010年は、私が独立をして初めて迎えた記念すべき一年間であったが、実は別の思いがあって、このような判断や考え方をしていた。それはどういうことかというと、大変ありがたいことに周囲の方が「独立したばかりで近藤が困っているだろうから」と、たくさん仕事をふってくれ、そんな思いを無駄にしたくないという思いである。すべての仕事をありがたく引き受けている(報酬の多寡は一切気にしなかったために、「貧乏暇なし」状態となったが)。
しかし、それらの仕事の大半は、次に繋がっていく仕事となり、自ら望んでいなくても自分が社会に提供できる価値を引き出してくれる存在になっていった。
一方で、私の中には、ある疑問が残っている。
「流れに身をゆだねてばかりいたら、自分の夢や願望には到達できないのではないか」という疑問である。つまり、流されてばかりいて主体性のない人生になってしまわないかという不安である。
こんな話を、先日シンクロニシティ的な出会いをした友人に話したら、彼女は私以上に流れに抗わずに生きていると前置きをしたうえで、こんなことを話してくれた。
「逆らったり、疑ってはだめです。その瞬間、シンクロニシティは終わります。軸のある人は、流れに翻弄されることはありませんから、そういう生き方でいいんです」
軸なら私にもある。「ホテル業界人を応援することで業界の向上を目指す」という、一応自分では立派だと思っている10年以上持ち続けている軸が。
そんな会話をしていたとき、ふと気がついた。ここ数カ月を振り返ってみると、好奇心に背中を押されて人に会いに行ったり、海外出張を企てたりしたお陰で、多くの出会いがあり、仕事の連鎖が続いた。私に起こったシンクロニシティのほとんどは、自分が行動した結果、起こったことだったのだ。だから、シンクロニシティを大切にするだけではだめであり、自ら積極的に行動することも大事であるということだ。そうすることによって、シンクロニシティはより多く発生するのではないか。
行動がシンクロニシティを引き起こす。
2011年も、私は果敢に行動し、シンクロニシティに導かれて大きなパフォーマンスを残したい。そんなことを考えた。
本年も、よろしくお願い申し上げます。
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